悲しい歌を聞きたい。
2021年10月23日、土曜日。
今日のテーマ
「夢」
将来こうありたいなどで使われる夢ではなく、眠りの中での現象の夢である。
覚えている間に、できるだけ書いてみよう。
ーー
玄関を出た。数歩進むと、猫が寝ていた。
見覚えのある顔の猫。
今年の7月に儚くなった猫だ。
気づくと、私の付近には足から頭頂までが60㎝ほどの、大きなカラスが数羽いた。
先ほどまで寝ていた猫が、木造の物置に入っていた。
物置には、他の猫やカラスも入ってきた。
外傷は見られなかったが、動きが悪く、生前の、下半身が動かせなくなってしまった状態のようであった。
場面が変わった。
荒らされていない廃墟のような、寂しさのある場所だった。
(またしても)気づくと、先ほどの―今年亡くなった―猫と共に部屋にいた。
悲しかったが、ふたたび会えたのがとても嬉しくて、体を撫でた。
あまり反応はしなかった。だがたしかに生きていた。
背中からお腹右側のあたりに、”硬くて細いものが押し当てられたようなちょっとした痛み”を感じて振り向いた。
猫が前足をかけていたのだ。
猫がベランダに出て行った。
離れたくなくてすぐに追いかけた。
空は、秋の午後4時くらいの暗い明るさで。
猫を探して歩いていると、車を運転している人・自転車をこいでいる人がすれ違う方向に走って行った。”この建物は会社だったんだ、そしてここで働いている人たちが出勤しているんだな”と思った。振り返ると、学校等でよく見る、壁に備え付けのアナログ時計があり、6時30分あたりを指していた。”8時始業なのに、こんなに早く来る人もいるんだな”と、知らぬ会社のことを思った。
空の明るさは秋の昼から夕にかけてのそれだったが、時計が示していたのは午前か午後かも不明だった。
(同じ表現だが)気づくと、猫を見つけた。
近づいて触った。抱きしめることもできた。
生きていたころは、ついに一度も抱き上げられなかったが。
泣いた。
ーー
目が覚めた。
もっと見ていたかった。
夢が終わるあたりの内容は忘れてしまったが、最後はだいたいこうだっただろう。
……書いている時点で、すでにけっこう忘れてしまっている。
ここからは、何故このような夢を見たのか考察してみよう。
- [説1]あの猫のことを思っていたため
あの猫が去ってから、毎日ではないにしろあのこを思うことがある。
深いところに止まっていた思いが、少しずつ溜まっていき、ついには溢れるまでというか、止めておけず浮き上がってきた。
それが今回、泣くとかの感情の発露ではなく、夢に見たのでは?
この記事を書いているのが土曜日。
前日の金曜、あれはたぶん ○ジテレビ の動物番組だ。
個人的なことだが、私は動物は好きでも動物番組は嫌いなので見ないようにしている。
しかし居間のテレビに映っていたその番組の中で、「難病にかかった飼い猫の治療薬のため、とても大切にしていた車を売却した」という話が再現ドラマを交えて紹介されているのはちょっと見ていた。
そのエピソードを見て、思ったことがある
去ったあのこが、自分の大切にしているものとひきかえに動物を救いたいという思いが強い人に発見されれば、助かったかもしれない。
私が、自分の生活を犠牲にできる人間だったなら、あのこは助かったかもしれない。
あのこは助けを求める人間選びに失敗してしまった。(……これは書いて、悲しくなった。)
まとめると、次のようになる。
日々溜まっていった思いが、番組を見たことにより、止めておけない域に達し、夢に見た。
- [説2]あの猫が思いを伝えてくれたため
あのこが息を引き取ったのが「2021年7月13日」。
あのこが夢に現れたのが「2021年10月23日」。
100日が経った。
目が覚めた後眠れず、時刻を見ると、午前4時半頃。
夢を見ていたのが午前3時から4時の間とすると、
もしかしたら、あの日あのこが完全に止まったのは、「7月12日の夜」ではなく「7月13日の未明」で、その時間に夢の中で会いにきてくれたのでは。
まとめると、次のようになる。
大変に自分勝手、都合いい捉え方かもしれないが、
「自分のことを忘れないでね」
と伝えるため夢で会いに来てくれた。
以上、だれにとっても取るに足らない、あるひとりの冗長な夢の話、であった。
この悲しみは乗り越えられなくていい、と思って生きているから、忘れないよう、書き残していきたい。
というか、書いておかないと忘れちゃうんだよね。
うちにあった猫のぬいぐるみがとてもかわいかった。
それでは、さようなら。